県道国道Road Trips

岡山県道やそのほかの道の走行記録など。

国道12号線(滝川市~美唄市)

国道12号線滝川市美唄市:日本一長い直線道路)

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国道12号線の「日本一長い」ことで有名な直線区間。ほぼ片側2車線区間だが、8月の昼間は結構交通量が多く、そんなにすいすいと進む感覚ではなかったが、夜間は交通量が少なくなり、かなり飛ばしている車も多いようだ。

直線区間の始まり付近には、直線29.2kmのモニュメント。曇天だが逆光でちょっと見にくい(うまく撮れなかった)。

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終わりの方は、光珠内の函館本線跨線橋付近。跨線橋を降りると緩やかなカーブが出現する。

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ただ、この跨線橋の手前でバイパス工事のようなことをしていたので、直線区間は今後もう少し短くなるのかもしれない?

ちなみに、並走する函館本線滝川駅~光珠内駅間の22.8kmも、在来線では日本第2位の直線区間らしい。

この直線区間は、もともと明治時代に「上川道路」(三笠から旭川に通じる道)として囚人の労働力を用いて造られた「囚人道路」だそうだ。場所は違うが、網走監獄博物館では囚人道路のうち、特に「中央道路」(旭川から北見に通じる道)に関する展示が充実している。中央道路の方は改良工事の際にルートが変わり、今ではメインのルートではなくなっているそうだが、こちらは原型がそのままメインルート(国道)として残っている。

これらの道路建設工事では、過酷な労働環境で突貫工事が続けられ、囚人から多数の死者(さらには看守からも)を出したため、沿道に慰霊碑などが設けられている。ちなみに、その後の「タコ部屋」労働の原型にもなったとのこと。

そのような無理をした背景には、北方の脅威(ロシア)に対抗する国防上の要請があった(道路がなければ、物資も兵士も送れない。)。大きな犠牲を払った道路建設は、明治になって世界の荒波に直面した日本が必要に迫られて急成長する際の成長痛、そして今の日本の骨格を基礎づくっているものといえそうだ。

強引な道路建設といえば、東北地方にもそうした道路建設の歴史があるが、こちらは北海道の囚人道路のような外部的な動機に加えて、幕藩体制から近代的中央集権国家への衣替えの中で必要な交通整備が進められたという内部的な動機もより重いように思われ、内戦の勝者の薩長と敗者の東北諸藩との関係などもあって、さらに複雑な色彩を帯びているように感じるが、それはまた別のところで。

(2018年8月)