県道国道Road Trips 覚書
☆県道や国道を中心にした、Road Tripの記録です。
☆何か印象に残った道の備忘録として。
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☆2015年7月以前の日付の記事は、「岡山県道」のページです。
☆基本的には,2014-01-01を1日目として,その日からn日目の記事に県道n号線の記事を作成してます。したがって,更新日時と記事日付は無関係です。
☆記事タイトル凡例:
◎=全線走破(起点―終点間を当該県道で走破したら全線走破ということで。別線,支線,新道付け替え等厳密には意識していない。未通区間除く)
〇=まだ走るところある(目安で3割程度走破したら〇)
△=申し訳程度に走破(他ルートの共用区間しか走ってないとか)
×=全然通ったことない
☆記事本文:
片側1車線=中央線で区切られた車線がある道路
1.5車線=中央線なし,概ね離合できる道幅はある道路
1車線=中央線なし,離合不能な部分の長い道路
(主観的なもので,厳密には区別してません。1.5車線の離合だって,楽にできるところからぎりぎりのところ,どちらかが停車しないといけないところなどいろいろあります。)
北海道道142号 根室浜中釧路線・北海道道35号 根室半島線(北太平洋シーサイドライン)
北海道道142号 根室浜中釧路線・北海道道35号 根室半島線(北太平洋シーサイドライン)
根室から釧路まで、主に海沿いを結ぶ主要地方道。写真は初田牛駅の東の区間だが、海岸近くの森の中を突き抜けている。
釧路方面から走ってくると、琵琶瀬や霧多布岬といった景観地を過ぎて、しばらく海沿いのアップダウンの区間が続く。この区間が美しい。
ポンポロト(地名)
北太平洋シーサイドラインは、襟裳岬から道東の太平洋岸を走る道の総称とのこと。
このあたり、独特の風情があって美しい。左手は馬や牛が草をはみ、右手は荒れる太平洋。
根室市街が近づいてきた。このあたりはガスが出やすいそうだ。
その先、国道44号線をしばらく東に進むと、その先で道道35号線となって、根室半島をぐるっと回ってまた本道の終点に戻ってくる。これも北太平洋シーサイドラインの一部。
根室半島北側ものんびりした道。8月末ですでに肌寒かった。
(おまけ)
北海道道1039号 霧多布岬線
霧多布岬の先端、湯沸崎
厚岸方面を振り返る
小さな花がちらほら咲いていた。
(2018年8月)
北海道道1060号 クチョロ原野塘路線
釧路湿原の北側で、道道243号阿寒標茶線から分岐し、南東へ進んで国道391号線まで結ぶ路線。
写真の起点付近からコッタロ湿原展望台までの区間は、片側1車線の舗装路で特に走りにくいこともないが、意外と山道。
コッタロ湿原展望台は、道路わきの駐車場から小高い丘を登ると、丘の向こう側に展望が広がっている。
そして、この展望台の先がダートになっている。
湿原の中を貫いていて、砂利が敷き詰められていて結構フラットだが、実は穴ぼこだらけで水たまりがあちこちに。
とはいえ、デコボコするだけで、タイヤがとられるようなことはそうないので、走行にそんなに注意が必要なわけではない。
釧網本線の踏切を渡って国道に入って終点となる。
(おまけ)
道東道を下りて、釧路湿原に向かって進むと、道道666号徹別原野釧路線に入る。平坦な一本道で、道東に来たことを感じさせられた。
釧路湿原の花。天気はいまいちだったが、湿原らしさはよく感じられたかもしれない。
終点からR391を少し下ったところから、釧路湿原駅方面に進んだその先にある細岡展望台からの眺め。釧路湿原がいちばんよく見える場所だと思う。
細岡展望台からは普通は来た道を戻るが、先に進むこともできる。その先は1車線~1.5車線ダート道になる。普通車でも通れるが、対向車が来るとしんどいところもある。山を大回りして下って、釧路町内でR391に戻れる。都会ではなかなか見ない、警笛鳴らせの標識が立っていたりする。
おまけのおまけ。釧路市内の鮭番屋にて。
(2018年8月)
北海道道93号 知床公園線
北海道道93号 知床公園線
国道334号線から分岐して知床半島北縁を進み、知床大橋まで。そこから先は知床林道がルシャの海岸まで伸びているとのこと。ただし、2018年現在、本道はカムイワッカ湯滝から先は一般車両は通行できず、硫黄山登山口のある知床大橋までは、届出をした上で徒歩でないと進めない。知床林道はヒグマ頻出ということらしい。
知床五湖フィールドハウスの分岐までは舗装された片側1車線の快走路だが、同分岐から先はダートである。といってもフラットダートで道幅も1.5車線くらいはあって離合もそんなに難しくないので、普通車でも問題なく通れる(ただし、例年8月はほとんど通行規制で、シャトルバスしか通れない)。
路面状況はこんな感じ。
さすがにヒグマは出てこなかったが、沿線で野生動物にいろいろ会える。
行ってみるまで知らなかったが、知床半島は先のほうは通れる道もなく、訪れるのはなかなか難しく、遊覧船から眺めるのが普通のようだ。
事実上の終点、カムイワッカ湯の滝。
温泉が滝となって流れ落ちている。滝だが、暖かい。
滝に打たれることができるような場所はなかったが、あれば温水の滝行ができるということになろうか(それは滝行なのだろうか?)。
その滝のすぐ先にはゲート。
いつか、知床岬周回とかやってみたいものだ(ヒグマ対策必須だろうが)。
おまけ、知床五湖。まずは五湖。
四湖。
三湖。
二湖。
一湖。
一湖の周りだけ開けているのは、明治期に入植しようとしたが果たせなかった名残りだとのこと。知床の森は、一旦損なわれるとそう簡単には回復しない微妙なバランスの上に成り立っているようだ。
(2018年8月)
北海道道950号 野付風蓮公園線
北海道道950号 野付風蓮公園線(付・ヘキサあれこれ)
野付半島の先っちょから根本まで約18kmにわたって続く平坦な県道。全線で片側1車線確保されている。
北海道道は、時折、起終点に通常よりでかいヘキサが建てられていることがあって、ここもその例。
全国の多くでは、六角形の中に
県道
数字
〇〇(県名)
という文字が入っていて、その下に路線名とか所在地名とか主要地方道・一般地方道の別とかを示すプレートが付されていることが多い。適当に選んだら主要地方道が多くなってしまったが、例えばこんな感じ。
ちょっと珍しいところでは、自転車道県道にヘキサが立っている例。
あまり見ないのが、ヘキサの中の表示が〇〇「県」となっているもの。かなり古いもののようだ。
もっとも、北海道は普通に「北海『道』」と書いてあるが、その北海道では、4桁ヘキサが登場するのと、道道を堂々と「道々」と省略しているものがある(すみません)。
変わり種では、2桁県道で先頭にゼロがついているもの(長野県)
路線番号が書いていないもの(路線番号制定以前のものか?ちなみに、石川県道229号線)
ヘキサが2段構えのもの(福島県に多い)
などなど、様々なものがある。
激しく脱線したが、話を道道950号に戻すと、野付半島には結構シカがたくさんいて、先頭の起点標識のすぐ脇の草地で、鹿の親子が草を食んでいた。よく見ると、奥のほうにもシカの群れが写っている。
海沿いに咲く花。
県道の起点から先には、未舗装のダート(関係者以外車両通行禁止)が半島の先端に向かって伸びており、途中に野付埼灯台がある。残念ながら中には入れない。
平坦な一本道で、両側に海が迫る。
沖合には国後島を望む。直線距離では16kmほどだそうだ。この道道の延長より短いが、その間には物理的な距離以上の距離が生じている。
ちなみに、野付半島は、根本は標津町だが、半島は途中から別海町である。
途中には普通のヘキサもあるが、かなり褪色している。
そして、終点にもちゃんと大型ヘキサがある。
沿道には、野付崎ネイチャーセンターや、トドワラなどの観光スポットもあるが、ともかく、空の広さが印象的な道だった。
(2018年8月)
知床斜里の「天に続く道」
知床斜里の「天に続く道」(国道244号線・国道334号線・斜網広域農道南3線)
国道の直線区間で約18km、両端の広域農道も加えるとトータル28.1kmの直線道路が、網走の東側から斜里の海別岳のほうに向かってまっすぐほぼ東西に伸びている。
東の端点付近は、緩斜面に広大な農地が広がり、一定の間隔で防風林の並木が並ぶ、いかにも北海道らしい風景。
東の端点から眺めると、直線道路が靄の中に消えていく様子は、確かにまるで天に続くかのよう。
斜里の市街に入ると結構交通量が多いのであまり直線方向を見通せない。
この曇天でも感動的だったが、天気が良ければさらにさぞかし素晴らしい眺めなのだろう。
(2018年8月)
国道12号線(滝川市~美唄市)
国道12号線の「日本一長い」ことで有名な直線区間。ほぼ片側2車線区間だが、8月の昼間は結構交通量が多く、そんなにすいすいと進む感覚ではなかったが、夜間は交通量が少なくなり、かなり飛ばしている車も多いようだ。
直線区間の始まり付近には、直線29.2kmのモニュメント。曇天だが逆光でちょっと見にくい(うまく撮れなかった)。
終わりの方は、光珠内の函館本線跨線橋付近。跨線橋を降りると緩やかなカーブが出現する。
ただ、この跨線橋の手前でバイパス工事のようなことをしていたので、直線区間は今後もう少し短くなるのかもしれない?
ちなみに、並走する函館本線の滝川駅~光珠内駅間の22.8kmも、在来線では日本第2位の直線区間らしい。
この直線区間は、もともと明治時代に「上川道路」(三笠から旭川に通じる道)として囚人の労働力を用いて造られた「囚人道路」だそうだ。場所は違うが、網走監獄博物館では囚人道路のうち、特に「中央道路」(旭川から北見に通じる道)に関する展示が充実している。中央道路の方は改良工事の際にルートが変わり、今ではメインのルートではなくなっているそうだが、こちらは原型がそのままメインルート(国道)として残っている。
これらの道路建設工事では、過酷な労働環境で突貫工事が続けられ、囚人から多数の死者(さらには看守からも)を出したため、沿道に慰霊碑などが設けられている。ちなみに、その後の「タコ部屋」労働の原型にもなったとのこと。
そのような無理をした背景には、北方の脅威(ロシア)に対抗する国防上の要請があった(道路がなければ、物資も兵士も送れない。)。大きな犠牲を払った道路建設は、明治になって世界の荒波に直面した日本が必要に迫られて急成長する際の成長痛、そして今の日本の骨格を基礎づくっているものといえそうだ。
強引な道路建設といえば、東北地方にもそうした道路建設の歴史があるが、こちらは北海道の囚人道路のような外部的な動機に加えて、幕藩体制から近代的中央集権国家への衣替えの中で必要な交通整備が進められたという内部的な動機もより重いように思われ、内戦の勝者の薩長と敗者の東北諸藩との関係などもあって、さらに複雑な色彩を帯びているように感じるが、それはまた別のところで。
(2018年8月)